テレビをつけると、他人への誹謗中傷・・・
ネットをみても、他人への批判・・・
今、私たちの社会には、
相手を批判や否定し、自分の価値観を押し付ける人が溢れています。
価値観の過度の押し付けは、
他者への誹謗中傷になります。
誹謗中傷って、気持ちがいいものではないはずなんです。
それが、なぜ、誹謗中傷が絶えないのでしょう。
他人を批判し、他人の言動にとやかくいう人たちがたくさんいますが、
言っている人たちは、言う権利ってあるのでしょうか?
価値観を押し付ける人の心には、特徴があります。
自分がついつい、あれこれ批判や否定してしまう人も、
あてはまるかもしれません。
人が、自分の価値観を押し付けてしまう。
その心にあるものを、1つずついきましょう。
正義感が強い
【ルール】を大事にして生きている人です。
だから、ルールを守らないのが信じられない、許せないのです。
国、会社、社会、学校など、様々なルールに従うのが当然ですし、
常識的に振舞うのが、当たり前だと思っています。
だから、それに従わない人が許せないのです。
その相手への批判・注意は正しい行為であり、
自分の正義の元に、価値観を押し付け、批判・非難を行うのです。
ある意味、正義の味方ですね。
ここに当てはまる人は、
不自由を生きています。
だから、本当に自由奔放な子どもや人をみると、うらやましいと思い、
自分の正しさを振りかざす特徴があるかもしれません。
心の奥底では、とても窮屈で、息苦しさと感じているはずです。
劣等感が強い、それを知られたくない
劣等感や支配欲の強い人は、常識、ルール、論理、経験や実績をもって、
自分の正しさを主張します。
その主張を持って、相手や状況をコントロールします。
自分がわからないこと、自分が不利なこと、自分ができないことなど、
自分の至らない部分が見られそうになった瞬間に、全力で自分の主張を出し、それを元に相手を批判、非難、説き伏せます。
自分の思い通りになったことで、一時的な安心感と優越感を持つのです。
ただ、一時的なので、またすぐに繰り返します。
優しさの勘違い
・・・まったく悪気がないのです。
相手を思い、相手のためにという親切心で、自分の価値観を押し付けます。
そこに、「相手には相手の気持ち・相手の意思がある」という根本的なことが
すっこ抜けています。
いわゆる、過干渉です。
過干渉は、本人の意思や感受性をそぎ、
個性を殺してしまったり、本人が体験すべき人生の流れを邪魔し、
時には狂わせる可能性があります。
誰にでも、自分の思い・価値観・意思があります。
自分の人生は自身の責任で選択していいはずなのです。
自己肯定感が低い
自己肯定感が低い人は、他人を認められません。
自分が自分を認めているからこそ、他人も認めることができるのです。
自分には「ない」と思っていることを「得ている人」を見ると、
嫉妬し、相手を攻撃し、足をひっぱります。
自分の劣等感や、自分の現状に不満を感じていることが、
他人へと向けられるのです。
現状に満足していて、自己肯定感がある人は、
他人に自分の価値観を押し付けたり、批判や非難をしたりはしないのです。
いかがでしょうか?
人の数だけ価値観がある。
多様な社会に向かっている中で、誹謗中傷の流れも大きくなっている気がします。
自分の価値観は、自分のもの。
他人の価値観は、他人のもの。
違うまま、共に生きていく未来へ進んでいくことを
心から願っています。