ある日のこと。
学校の先生と話していた中で、
「木村さんは、好きな教科何ですか?」と聞かれたんです。
好きな教科は~と答えかけて・・・
おぉ!!好きな教科って難しくない!?
と思いつつ、さらっと社会(昔は日本史、今は公民)って答えたんですが^^
(挨拶のような会話だったからね^^)
答えつつも、どんな自分なんだろうって探究していて・・・
(探究癖発動)
「教科」で絞るの、難しくない!?って思ったんです。
社会といっても、地理、歴史、公民ってあるじゃないですか。
歴史も、日本史もあれば世界史もあるし。
歴史が好きっていっても、全部好きなわけじゃないしなぁ・・・と思うわけです。
好きと言われたら好きなんですけど、
どちらかというと興味という部分でが強くて・・・
「歴史」と「公民」かなぁ。
中学校理科なんかもっと、いろんなテーマを習うんですよ。
生物・地学・化学・物理の4分野といっても、それぞれいろんなテーマがあるじゃないですか。
生物や物質、エネルギー、地球の仕組み、、生物の多様性や進化、物理法則やエネルギー変換、
化学反応や物質の性質、地球の構造や自然現象など、自然界のさまざまな側面を探究し、学ぶ教科なんですよ。
興味があるテーマが1つあって、ほかのテーマは興味なし!とかも
国語は現代文と古文(日本古文・漢文)と文法の3つだけど、それぞれのまたテーマがある。
文法は興味ないけど、表現とか言葉の意味とか興味があるし、
物語とか小説とか好きだし、文章を通じてあれこれ考えるのは好きだなぁとかとか。
もちろん、教科全部興味なし!ということもあるだろうし、教科全部好き!ってこともあるかもしれない。
けど、案外、興味のポイントって、教科を横断して存在することもあるんじゃないかな?と思ったんですが、どうなんでしょうか。
他の教科も、少し細かくみていったら、興味のポイントがいるかもしれないなぁと思うと、
「好きな教科何ですか?」って質問は、ざっくりとした質問かもしれないなぁ。
(社交辞令的な挨拶は、それでいいのだけどね。)
一番得意な教科は何?とか、一番成績がいい教科何?とかのほうが、
もしや答えやすいのでは?と思ったり。
こんなにたくさんのことに触れていることは、
自分のいろんな面に出会えるってことでは??
お!!自己探求や自己理解につながるチャンスじゃん!!!!
と
思わず、帰宅してから長男に聞いてみた。
「中学校でやった理科の中で、好きなテーマは何だった?」
「中学校でやった理科の中で、興味があったテーマなんだった?(おもしろーって思ったテーマ)」
やっぱり、最初は点数がいいのはーっっていう返答がかえってきて・・
「それは、ちょっと置いといて、
点数とか理解度とか関係なく、ただ面白かったり好きだったテーマはなんだった?」
て聞いて、やっと「うん、そうだなぁー」ってかえってきた。
「興味がある!」「好き」がわからなくても、
「興味がない!」「きらい!」がわかることも自己理解に繋がるし、
自分のかけらが自分でつかめることがなにより大事なこと。
こういう棚卸の時間、しっかりとれたら進路選択に繋がってくるだろうなと思った瞬間でした。
そして、「点数」は、自己をぼやかすなぁ。
点数で測られたものと自分の価値がリンクしてしまうのは、
どうしても仕方ない部分。
それは、それとして。
それを外して、自分を見る時間と探究があれば、
今のシステムの中(システムが変わらなかった)としても、
自己理解を深めていけるんじゃないかなぁ。
学校向けのキャリア教育に導入として使えそうな視点だなぁと思ったり^^
学期ごとの振り返りで、「1学期の学びで、興味があったテーマ、好きだったテーマと、
きらいだったテーマ、興味が持てなかったテーマ」について、各教科ごとに聞いてみることにしてみよ~~